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古代のトイレ


  日本の古代のトイレには汲み取り式と水洗式があり、後者が主流であった。

  水洗式と言えば近代的に聞こえるが、「厠(かわや)」はつまり「川屋」のことで、溝をまたぐだけの簡単な構造であった。



  排泄物を川や側溝に垂れ流すだけなので、街中の川や溝に糞尿を撒き散らすことになる。

  数万もの人が住む都は糞尿のにおいが満ちていたかもしれない。

  事実、「続日本記」には藤原京内に、悪臭が漂ったとの記事がある。



  平城京や藤原京の発掘では、トイレ遺構はまだ発見されていないが、二十数年前に平城京で、幅3メートルほどの

  基幹排水路の大溝が発掘された時、箸のような木切れが多数出土した。

  これが、クソベラである可能性が大である。(紙が高価な時代、クソベラと呼ばれる木切れを落し紙にした)



  大溝の両岸には溝をまたぐように柱穴が並んでおり、大溝をまたいで設けられた長さ20メートルもの

  長大な建物が想定できる。宮内で働く役人達の共同トイレだったのであろう。




                                     岩波新書 「奈良の寺」より
                                       富山大学教授  黒崎 直氏 執筆分から抜粋


                                                            2003/09/20
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平城宮址

平城宮址
平城宮朱雀門

平城宮朱雀門
平城宮朱雀門

平城宮朱雀門
平城宮東宮庭園

平城宮東院庭園
(上の写真は奈良市観光協会様からお借りしています)
平城宮址 平城宮朱雀門 大極殿


2011年秋の大極殿
平城宮址 平城宮朱雀門 2003年10月 建設中の大極殿
歌姫から仁徳天皇皇后磐之媛命平城坂上陵の辺りを望む
2003年10月撮影
2003年10月撮影 建設中の大極殿の、外側の覆いデカイ!出来あがった大極殿はさぞや
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